Hira's.net

おでかけ
2020.01.11

大国神社に十日戎へ行ってきました!

大黒様

新年明けましておめでとうございます。
本年度もHira’s.netをよろしくお願い致します。

大国神社

起業して大国町に事務所を構えていた頃から毎年大国神社の十日戎に行っていまして、今年も無事行くことが出来ました!

今は大国町に特に縁が無いので行くのも多少億劫ですが、 神様も急に行く所を変えたりするとお怒りになると思いますし、実際大国神社から変えたら災いもありました(笑

今となっては結果的に良かったのですがそういう事もあるので行くなら大国神社に決めてます!

十日戎って

そういえば改めて調べてみると

豊臣時代の頃になりますと庶民のえびす様への信仰はより厚くなり、また豊臣秀頼は片桐且元に社殿造営の普請奉行を命じています。またこの頃より市街が発達し、大阪町人の活躍が始まり、江戸期になると大阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになりました。十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、延宝三年(1675)の現存する最も古い大阪案内の図「葦分舟」にも十日戎の状景が描かれています。

また文芸の分野においても江戸初期の俳人小西来山の句集で今宮のことが書かれており、中期の大田蜀山人の紀行文にも十日戎が記されています。また浄瑠璃「艶容女舞衣」では十日戎が重要な背景として設定されています。

明治には、それまでの問丸が雑喉場の魚市場、材木商組合、麻苧商組合、蝋商組合、漆商組合、金物商組合等が講社を結成し、十日戎はより一層盛んになりました。

このように時代とともに盛大になってゆく祭礼ですが、惜しくも昭和二十年の戦災で神社はことごとく焼失しました。しかしながら昭和三十一年には本殿が復興し、再び十日戎も活況を呈するようになり、現在では年の最初のお祭りとして十日戎の3日間に約百万人を超える参詣者があります。

今宮胡神社

と、こういう事も調べてみると歴史があり面白いですね。

ねずみの狛犬

今年はねずみ年(子年)だからか打ち出の小槌を持ったかわいいネズさんがおりました。

今年はこれをやる

新年最初の投稿なのでとりあえず出来るかどうかは抜きにしてやりたい事を書いておく

  • WEBの技術力をアップ、表現範囲を広げて行きたい
  • 動画コンテンツを作りたい
  • 久しぶりに何か曲を書く
  • ギター、ベース以外にちょっとぐらいはキーボードを弾けるようになりたい
  • ゲーム作りに挑戦
  • 旅に出たい

他にも出てきそうだけど年末にどれぐらい出来ているか・・・

改めまして

それでは改めまして、皆様の商売繁盛、健康やご多幸をお祈りしつつ
本年もHira’s.netをよろしくお願い致します。

この記事を書いた人

ひらず

WEBディレクター、デザイナー、フロントエンドエンジニア、投資家、会社オーナー 2007年に同志と起業、2009年に法人化、2018年にHira's.netを設立。
WEBデザイン、コーディング、ディレクター等WEB制作全般に幅広く携わっています。